2015年8月6日木曜日

8月8日 戦争犠牲者追悼法要

浄土真宗本願寺派 東筑組
戦争犠牲者追悼法要


 今、私たちは平和を享受していますが、それは70年前の非常事態があったからです。そうした思いを見つめ、絶対に二度とあの時に戻らないために、今年も8月8日(八幡大空襲の日)に東筑組戦争犠牲者追悼法要を、下記のごとくお勤めいたします。平和を通して全戦争犠牲者を偲び、非戦平和への努力を重ねて、平和への思いを新たにしたいと思います。どうぞお参りください。

日時8月8日(金)18:00
場所:小伊藤山公園(八幡市民会館前)
日程
 ・法要『仏説阿弥陀経』(雅楽衣用)
 ・東筑組組長挨拶


【8月8日 八幡大空襲 資料】(東筑組伝道教学部)より
 昭和20年8月8日、アメリカ空軍による焼夷弾攻撃により、当時の八幡市は焼け野原となりました。
 その攻撃は、八幡製鉄所の工場は占領後に使用するために残し、そこで働く労働者、市民をねらったものでした。
 公式発表では、死者2,952人、焼失家屋数14,380戸となっていますが、それ以上の被害があったと思われます。

 八幡市民会館前にある小伊藤山公園には慰霊塔があります。その碑文を以下にご紹介致します。

この地一帯は丘陵地で小伊藤山と呼ばれ
その麓まで家屋が建ち並んでいた
太平洋戦争となり 北から南から また西から
防空壕が築造された
昭和二十年八月八日午前十時 米空軍による
焼夷弾攻撃で 付近一帯は焼野原となり
この防空壕に避難した人々は 火煙に包まれ
全員窒息死した
その数三百人といはれている
戦災復興区画整理事業により この地を公園とし
戦災死者を追悼するため
昭和二十七年慰霊塔を建立した


 当時、市民のほとんどが製鉄所に勤めていました。そのため各自宅へ燃料となる石炭を持ち帰っていました。空襲によりすべてのものが焼け尽くされ、持ち帰っていたボタ(粗悪な石炭)にも火がつき、猛烈な黒煙があがったようです。それが翌日9日にもおさまりませんでした。アメリカ軍は小倉へ原爆を落とす作戦でした。天気が悪くて落とせなかったというのが定説ですが、9日は天気が良かったようです。8日の八幡空襲でおさまらない黒煙が、翌日西風にのって小倉市街地を覆い、見通しが悪かったのです。レーダーで確認し落とすこともできたのでしょうが、アメリカ空軍の指令は『目視で確認して落とせ』だったそうです。その原爆は長崎に落とされることになります。
 八幡大空襲と長崎の原爆は、大きく関わっています。この事実を深く受け止め、非戦平和へ努めなくてはなりません。

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