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2019年8月3日土曜日

8月8日 戦争犠牲者追悼法要

八幡大空襲の日


戦争犠牲者追悼法要


令和元年8月8日 18:00~18:30
於:小伊藤山公園(Google Map)
勤 行 『仏説阿弥陀経』

体験談 西法寺前住職 西村賢了師

参 詣 者 全 員 焼 香



当日は有志僧侶で追悼法要のお勤めを致します。全戦争犠牲者を偲び、非戦平和への思いを新たにしたいと思います。どなたさまでもどうぞお参りください。


【 参 考 】
 太平洋戦末期、米軍が開発し日本の攻撃に投入した爆撃機「B-29」。この爆撃機が投下した爆弾や焼夷弾が日本中の都市を焼け野原にしたのです。この「B-29」が初めて日本本土に飛来してきたのは1944年6月16日。福岡県北九州の上空でした。当時最大の製鉄施設を持つ八幡製鉄所が標的でしたが、大きな被害が出たのは当時の小倉市にあった兵器工場「小倉陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)」でした。勤労動員されていた10代を中心とする若者約80人の命が一発の爆弾で奪われたのです。

 その後、終戦間際の1945年8月8日、再び「B-29」が北九州・八幡を襲いました。大量の焼夷弾を今度は無差別に住宅街に投下し、2,500人を超す死傷者が出ました。街の中心にあった防空壕では避難していた300人もの人々が窒息死しました。一回の空襲の犠牲者としては、九州では長崎の原爆に次いで大きいものでした。

 小倉陸軍造兵廠で家族を失った人、八幡大空襲で逃げ惑った人々の証言で綴る「北九州空襲」の記録です。

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